自治体DX / ガバナンス / デジタル・リヴァイアサン

DXはシステムの導入ではなく「統治の再設計」である

自治体DXを、便利さや効率化の話だけで終わらせないために。デジタル化が生み出す「保護」と「歪み」を見つめ直し、住民を守るための運用設計を考えます。

デジタル・リヴァイアサンを象徴する、保護と硬直が共存する巨大な統治装置のイメージ
デジタル・リヴァイアサンのイメージ図。保護装置としての統治と、硬直した処理装置としての統治が共存する様子を表しています。

はじめに DXはシステムの導入ではなく「統治の再設計」である

自治体DXは、しばしば「便利になる」「早くなる」「安くなる」という効率化の話に収束します。もちろん、それらは重要です。

しかし、現場に深く入るほど、私は次の問いから離れることができません。

  • この仕組みは、困っている人を本当に守れているのか。
  • 守れているとして、その「保護」は住民に体感されているのか。
  • 守れていないと判断されたとき、仕組みは学習し変わることができるのか。

申請がオンライン化されても、入力フォームの複雑さで弾かれる人がいる。便利なアプリが導入されても、スマホに明るくない、あるいは持たない高齢者が「いないもの」として扱われてしまうことがある。「データで改善」と言いながら、当初計画に縛られて硬直運用が続くこともある。

私は自治体DXを、単なる道具の置き換えではなく、統治、すなわちガバナンスの再設計として捉え直したいと思います。そして、統治の再設計を誤ったときに立ち上がる巨大な歪みを、本稿では便宜的に「デジタル・リヴァイアサンの歪み」と表現いたします。

注:
ホッブズのリヴァイアサンは本来、平和と防衛をもたらす「保護装置」として国家を構想したものです。本稿で扱うのは、その原理そのものではありません。デジタル化が加速することで増幅・顕在化しやすくなる歪みに着目し、それらを総称して「デジタル・リヴァイアサンの歪み」と呼びます。

本稿の関心は、「デジタル化は善か悪か」ではありません。保護装置であるはずの統治が、デジタルによってどのように歪み得るのか。そして、その歪みを前提にしたとき、自治体DXの運用をどう設計すれば「守る」機能を取り戻せるのか。私はそこから考えたいと思います。

リヴァイアサンの受容と保護の関係

ホッブズは国家を「リヴァイアサン」として描き、秩序が失われたとき人は自然状態に陥ると論じました。自然状態では、人々は互いを疑い、衝突が連鎖します。いわゆる「万人の万人に対する闘争」を回避し、暴力への恐怖から人々を守るために、強い主権が必要だという立場を語りました。

リヴァイアサンで重要なのは、国家と臣民の関係が感情ではなく、合意と権限付与の関係として捉えられている点です。すなわち、守るから国家のルールは受け入れられる。逆に、保護が十分に機能しないなら、統治の正統性は揺らいでしまう。

もっとも現代の自治体運営は、法治・自治・民主制・説明責任など複数の柱で支えられています。したがって現代において「服従」という強い語をそのまま当てはめるよりも、住民が制度を利用する・信じる・相談するという日常的な「受容」として捉え直す方が適切でしょう。ここにもまた、保護と受容の関係が通底しています。

統治の失敗は、財政破綻より先に「信頼の崩れ」から始まる。

この受容が崩れると、現代の住民は武装蜂起などせず、もっと静かに離れていきます。相談しなくなる、制度を利用しなくなる、地域から出ていく。だからこそ、制度が存在することと、制度が信頼されていることは分けて考える必要があります。

デジタル・リヴァイアサンの歪み――「非対称と硬直」が保護を疲弊させる

デジタル・リヴァイアサンの歪みは、SF的な監視国家の話ではありません。もっと実務的で、日常に潜む形で現れます。ポイントは、デジタル化が生む非対称と硬直です。

  • 住民側、Pull:「自分で探して、自分で申請して、自分で証明せよ」という自己責任が強く求められる。
  • 行政側、Push:収集・照合・判定・停止のプロセスが、自動・一方通行で進みやすい。

この非対称が積み上がると、制度は「冷たく硬いつながり」になります。制度そのものは存在していても、制度に辿り着けない人が増える。すると、問題は本人の努力不足として処理されがちになります。

ここで重要なのは、デジタルが悪いのではなく、デジタルが計画どおりに進むことにより、世界を縛る力を増幅してしまうことです。分類し、正規化し、例外を弾き、処理する。これらは効率を上げますが、同時に住民の痛みを見えにくくします。縮減が積み重なると、保護の実感が薄れ、信頼が剥がれてしまいます。

「計画制御」の限界――複雑な現実は常に外側にある

自治体DXが陥りやすい最大の罠。それは「計画制御、プラン・コントロールの幻想」です。「事前に要件定義を完璧に行えば、複雑な現実を制御できる」という思い込みです。

しかし、人間の生活は変数の塊です。家族構成、健康状態、就労、移動手段、地域のつながり、突発的な出来事。条件が少し増えるだけで、現実は簡単に組み合わせ爆発を起こします。

組み合わせ爆発シミュレーター

「Yes / No」で分岐する生活の条件数を動かして、想定パターンがどれほど増えるか確認できます。

想定される全組み合わせ数32,768 パターン全通り検証に約9時間必要
たとえば50個の「Yes / No」条件があるだけで、組み合わせは2の50乗に達します。
仮に1秒に1パターンずつ検討しても、全通りを確認するには3500万年以上かかる計算です。

つまり、制度設計や要件定義の段階で、生活の多様性を全探索して最適解を決め切ることは、実務上ほぼ不可能なのです。

また、住民の複雑さは、単なる個人のステータスに留まらないことにも注意すべきでしょう。ある高齢者が「スマホを使えない」という事実は、近所に助けてくれる友人がいるか、あるいは孤立しているかによって、行政が提供すべき「保護」の形を大きく変えてしまいます。

コミュニティという変数は、計画制御をさらに不可能にする一方で、統治を支える重要なセーフティーネットでもあります。

それでも「仕様書で網羅しよう」とすれば、要件は膨張し、例外は取りこぼされ、現場の運用は硬直します。では、この幻想を抱えたままDXを進めると、具体的に何が起きるのか。

  • 仕様書どおりに作ったのに、誰も使わないシステムができる。
  • 現場の状況が変わっているのに、「当初計画」だからと予算消化のために突き進む。
  • 想定外の「例外」が発生したとき、システムが対応できず、たらい回しが発生する。

これは現場の怠慢ではなく、構造の問題です。そしてデジタル化は、この病を加速させます。例外排除と正規化が、より容易に、より強く働くからです。結果として「正しく手続できない人」がこぼれ落ち、保護が薄くなる。

だからこそ自治体DXの勝敗は、機能の多さより先に、「複雑さを許容する運用設計」と「学習して修正できる仕組み」で決まる。私はそう考えています。

データの意義とは、管理ではなく「学習」のために使うこと

データはしばしば「計画どおりに進んでいるか」を監視する道具になりがちです。けれども本来は逆で、「計画が現実とどうズレているか」を知るためにこそデータの活用が必要です。

  • 施策を打ったのに数字が動かない。つまり、現実が反応していない。
  • 想定していなかった層から反応が出ている。つまり、改善の余地が働いている。
  • 現場の違和感が、データでも確認できる。

こうしたノイズを拾い、行政側が「間違っていた」と認め、自らを変えること。管理ではなく、フィードバックによる学習の循環を回すこと。

自らの振る舞いが他者に痛みを与えていると気づいた時、自らのあり方を変革すること。

これこそが、デジタル時代における行政の責任の取り方であり、本当の変革なのです。データは住民を縛る鎖ではなく、行政に神経を通し、痛みを感じて自己変革するための器官なのです。

私が目指す運用像――守るプッシュ、選べるプル、文脈対応型アナログ、編みなおされる共助

ここで、これまでの議論を整理します。Push、つまり行政が先回りして届ける仕組みが増えれば、自動的に良い統治になるわけではありません。Pushは、保護にも、監視にも、制裁にも使えるからです。

だから私は、デジタル・リヴァイアサンを否定するのではなく、歪みが増幅しやすい部分に歯止めをかけ、保護装置として働くように手懐ける方向を取りたいと考えています。具体的には次の四点です。

守るプッシュ

困る前に支援へつながる導線を、行政側から提示する考え方です。申請主義だけに依存すると、制度を知らない人や手続にたどり着けない人が取り残されます。デジタルは、その見落としを早期に発見し、相談・案内・支援へつなげるために使います。

例:対象となる可能性のある支援制度を案内する、期限前に通知する、窓口相談への導線を出す。

「誰にでも同じ手続」は公平に見えますが、前提条件が異なる人に同じ手続を課すことは、結果として不公平になり得ます。だからこそ、デジタルで標準処理を高速化しつつ、例外・境界・救済に人の裁量を配分する。標準化と文脈理解の分業が、保護を実装します。

しかし、アナログ併走は非現実的に捉えられやすいので、重要なのは「全部併走」ではなく、落ちやすい層・重要な局面に優先配分する設計です。ここを誤ると、二重コストで現場が疲弊してしまいます。

抽象的な理念だけでは、デジタル・リヴァイアサンの歪みは止まりません。必要なのは、制度やシステムを導入する前後で、現場が繰り返し確認できる実務上の問いです。

自治体DX 実務チェック

新しい仕組みを導入する前、運用開始後、改善会議の前に確認するためのチェックです。各項目をクリックすると確認済みとして表示されます。

この実務チェックを繰り返すことは、単なる点検作業ではありません。デジタルによる標準化の力を認めつつ、そこからこぼれ落ちる人や例外を拾い直すための、統治の学習回路です。

おわりに 「水」のような統治へ――昨日の正解を今日変える勇気

孫子は「兵の形は水に象る」と説きました。水が地形に応じて姿を変えるように、統治もまた、刻々と変わる現実の「痛み」に合わせて、その形を柔軟に変容させるべきです。

ここで改めて、本稿でいう「デジタル・リヴァイアサン」を定義するなら、それは行政のデジタル基盤が、本来は住民を守る保護装置であるにもかかわらず、計画、分類、正規化、判定だけを自己目的化し、現実の痛みや例外に合わせて形を変えられなくなった状態です。

往々にして行政は、一度決めた「計画」や「仕様」を守ることに心血を注ぎます。しかし、守るべきは「昨日決めたルール」でしょうか。それとも「今目の前で困っている人」でしょうか。

変化する生活を守るためには、計画を維持するために人を犠牲にするのではなく、人を守るために形を変える。それこそが、デジタル時代に公務を担う者の「真の誠実さ」だと私は信じます。

水のような統治とは、行政という器の中に住民を閉じ込めることではありません。決めた分類に住民を押し込むのではなく、住民の暮らしの地形に合わせて、制度、窓口、データ、対話の形を変え続けることです。デジタルによって標準的な処理を効率化し、そこで生まれた「余白」を、行政の手が届かない場所で生まれる住民同士の助け合いや、複雑な事情を抱える個別の対話に充てる。この豊かな生態系を支えるための「神経系」として、デジタルを機能させるのです。

昨日の正解が、今日の正解であるとは限りません。

「デジタル・リヴァイアサン」という巨大な仕組みに人間的な温度を通し続け、硬直した処理装置ではなく、状況に応じて形を変える保護装置として手懐ける。その勇気こそが、統治の正統性を支え、住民との信頼を編み直す唯一の道なのです。

参考文献・参照資料

Thomas Hobbes, Leviathan(1651)
https://www.gutenberg.org/files/3207/3207-h/3207-h.htm
第13章、自然状態。第17章、国家の成立。第21章、臣民の自由など。

デジタル庁『デジタル社会の実現に向けた重点計画』
https://www.digital.go.jp/policies/priority-policy-program

総務省『自治体DX推進計画』
https://www.soumu.go.jp/denshijiti/index_00001.html

総務省「デジタル活用支援推進事業」
https://www.digi-katsu.go.jp/

『孫子』虚実篇、「兵の形は水に象る」
https://kanbun.info/shibu02/sonshi06.html

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